新パーテル・パーテル2  史上最強の小説

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新パーテル・パーテル3  史上最強の小説

デモ行進とは編集

ここ日本に、割りと小さなニュースが流れました。

{ 3歳児死亡。食事与えられず、栄養失調が原因か }

そんな見出しの、割りと小さな扱いのニュースです。

しかし、ネットの世界では、取り分けネット掲示板では、
衆人の注目を集めました。
というのは、ネットで出て来た新情報が、
衆人の関心を集めたからです。
3歳児の親は、金融屋に借金があったというのです。
その金融業者は、
ムチャな取り立てをする事で知られている業者だとも、
書き込まれています。
3歳児の親は、毎月分の済金額が足りず、
半年間、手持ちの金、全額の受け渡しを要求され、
結果、3歳児の餓死に繋がってしまったという情報です。

ネットでの呼びかけがあってか、
東京の主要都市で、若者達のデモが見られるようになりました。
デモの意志の伝達手段は、横断幕です。
若者たちは、横断幕やプラカード、または布に、

{ 私達に生きる権利を }

{ 借金の無理な取立てはやめさせろ }

{ 借金の全額免除を }

そんな主張を書くと、それを手に街々をねり歩きました。

しかし、鬱積された憤懣は、そんな事では収まりません。
ふとした弾みか、デモは、町田の金融屋の前まで差し掛かると、
金融屋になだれ込む一団を作り出してしまいました。


新パーテル・パーテル4  史上最強の小説

スローガンとは編集

{ 私達に生きる権利を }

そんなスローガンの声にかき消される中、
かすかな怒号が聞こえてきます。
若者: おい、金庫をあけろ
場所は新宿駅南口近く。
古びた中層ビルの三階、中島金融のフロアです。
バリンというガラスの割れる音。
散発的にはっせられる悲鳴。

金庫を開けろという怒号も、そこにあります。

デモ隊の中に混じる、
越えるべきでない境界線を越えてしまった若者達。
それに触発され、ゾンビのように暴徒化する人々。
越えてしまった事に慣れてしまう暴徒達です。
暴徒達の憤懣は、街の金融屋から、金融機関へ。
そして、政治、自分達を貧しくさせておく社会へと拡大していき、
燎原の炎は、燃え広がっていきます。
デモ隊は、手に手に武器を取って、金融機関を襲い、
被害は、デパート、商店へと及んでいきます。

境界線上のホライゾンとは編集


新パーテル・パーテル5 チェーンメール    史上最強の小説

チェーンメールとは編集

チェーンメール:
{ 虐げられた者達よ。
聖山へむかえ。
あなた達が生を受け、営みを続ける、この市場社会で、
職を得る権利を、
幸福を追求する権利を、
糧を得る権利すら奪われた者達よ、
聖山へむかえ。
さすれば、あなた達はこの市場で、幸福に生きる為の権利、
新たな市民権、
市場市民権を勝ち取る為の力を得るだろう。
暴虐なる権力をもって、
あなた達の市場から、
あなた達の手にするはずだったモノを、奪い取っていった者達を、
圧倒する力を、
新たな権力を、
あなた達は見いだすだろう。
奪い取られた者達よ、
聖山へむかえ。}

デモとも暴動ともつかない喧騒の中、
1つのチェーンメールが何処からともなく現れました。
しかし、誰も気にとめる者もいません。

少なくとも、この喧騒で、何かが変わるという期待がある内は。

希望を打ちひしがれる、その時まては。

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パーテル・パーテル1 ネット小説

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パーテルパーテル 無数のトライブ   ネット小説

トライブとは編集

この国には、無数のトライブ(部族)があります。

というわけで、今日は渋谷のルキスのお話。
あ、ちょっとその前に、みなさんは自分の国に参加しているというか、
この国の国民なんだというか、そういった実感てありますか?

ここから書いていくのは、そんな実感というか、感覚器官すら持ち合わせていない、少し困ったさん達のお話です。

あ、国の定義は、まあ、また後で。





パーテル・パーテル 法律食いのミハエル   ネット小説

法律とは編集

  • 衆参両議院の議決を経て成立する一般的・抽象的な規範(憲法59条1項)。第五十九条  法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。 ↓提出を受けた議院の委員会による審査、本会議による表決がおこなわれ、可決され.. 続きを読む
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六法全書って、知っていますか?

知っているようで知らないですよね。
法律って、大昔は貴族のものだったんですよね。
みんなが使えないように、口伝で伝承されていたりして。
でも法律が文章化されて、広く大衆のものになって、
そして複雑化されていったんですけど。

本当は法律って、私達の生活のしかただったり、
ルールだったり、
もっと身近なもののはず。

でも、まるでゲテモノを煮詰めた魔女の鍋のよう。
いったい何が飛び出す事やら。
それに、いったい誰のものなんでしょうね。

少なくともこの人のモノではないわwwww

渋谷のダンボール村が出来たのは、5年前。
もともとダンボール暮らしの人が居たのですが、
渋谷のアブレ者の若者の中に、その村が出来ました。
まぁ、5年前から、そう呼ばれるようになったという事です。

そんな渋谷のアブレ者の若者の中、
ひときわ目立つアブレ者がいました。

名は藤堂ミハエルさん。

このアブレ者のミハエルさんが渋谷の街を闊歩する姿はアッカン。
足にはローラーブレード
赤铜色のマッチョの巨躯に、風変わりな羊の毛皮を縛りつけ街を疾走。
それだけで目立ちます。

そんなアブレ者のミハエルさんのいる、
渋谷ダンボール村に目をつけたのは、
東京都の道路課の課長、佐々木さんです。
佐々木さんが新しく同課に配属になった田代さん以下7名をつれて、
渋谷ダンボール村に現れたのは、
木枯らしのふく季節です。
路上占有者の、立ち退きの新人研修も兼ねてとの事ですけれど。

道路課職員:佐々木さん、墨田のあだ浪橋の件は聞いていますか
課の部下の一人が、目を輝かせながら言うと、
他の同僚も耳をそばだてるような素振りをしました。
課の最大の関心事なだけに、
敏腕の誉れ高い佐々木さんの意見をみんな聞きたがります。

佐々木:ああ聞いている、担当は高橋くんだったな
佐々木さんは少し得意げにいいました。

道路課職員:ええ、高橋さんには気の毒なことで
課の大概の意見はそんなものです。

佐々木:確かに気の毒ではあるが、初手を間違えた観はあるな
道路課職員:初手といいますと
佐々木:まあ、元々あだ浪橋は問題のある橋だった。交通量もそこそこ多く、橋の下には水道や都市ガスといったライフラインも通っている。下に路上生活者を置いていていい橋ではなかった

道路課職員:高橋さんもそれで努力はしていましたけれども
佐々木:努力のしかたがねぇ、路上生活者は人だ。人様に向かって、バカだの死ねだの言っていいものではない
佐々木さんがそう言うと、何人かがくすくす笑いました。佐々木さんほど人を小バカにした人間も珍しいからです。

佐々木:君達、笑い事じゃないよ。最近のマスコミのやり方。君達も覚えておいたほうがいい。路上生活者に金を渡し、盗聴器やカメラ、あまつさえ生活者自身に隠しマイクを仕掛けるケースもある。そして我々の暴言を引き出し、面白おかしく記事にする。

道路課職員:高橋さんもそれでやられたんですね
佐々木:ああ、高橋くんはベテランだよ。交渉も粘り強いものだったと聞いている。変えの居住先まで用意していたほどだ。
しかし挑発に乗ってしまった。裏でマスコミが画策していたとしても、弁明できるものではない。
そして結果はあれだ。路上生活者への暴言をタネにマスコミの集中攻撃、マスコミの対応に追われている最中に、最悪の事態が起こった。
あだ浪橋下の路上生活者の煮炊きの火が、ダンボール住居に引火。その火事が橋下のガス管に引火、爆発、水道ガス電気のライフラインはめちゃくちゃ。
我々は9千万からの補修費用と焼死した路上生活者2人の責任を問われるはめになった

道路課職員:しかし、改めて聞いても不幸としか
佐々木:不幸?君達はあの事故を、不幸な出来事と言うのかね。私に言わせればあれは初手のミスだ

道路課職員:あれをミスと言うにはちょっっと
職員の一人が言いました。

佐々木:ミスではないか。では思い違いだ。君達は私達の強みはなんだと思う?では田代くんに聞こうか

田代:えっとう、その
田代さんは困った顔をしました。

佐々木:新人の田代くんに聞くのは、少々意地が悪すぎたかな。では、誰か
佐々木さんはそう言うと後ろを振り向きました。
もう現場近くです。

道路課職員:組織力です。都の組織力です
課の一人が言いました。

佐々木:んん、そうだな。組織力だ。それは一面の真理ではある。しかし私達の行う作業は、都の仕事の中でも、とりわけデリケートな問題を扱う事を忘れてはならない
佐々木さんは咳払いを一つ、手にした彼のトレードマークである六法全書を胸の辺りへ振り上げました。

佐々木:君達も憶えておきたまえ。ペンは剣よりも強し。これはペンよりも強しだ
佐々木さんはそう言うと、六法全書を強く握り締めました。

佐々木:我々の頼りとするところは法だ。それ以外にない
佐々木さんは法の信奉者です。
資産家の家に生まれた佐々木さんは、わりと早いうちに法を志しました。

大学在学中に司法試験も取得。
しかし佐々木さんは、検事にも弁護士にもならず、東京都の道路課を志望しました。
法こそ人類の至宝、最強の力。佐々木さんの信条です。
検察権も司法権も頼らず、
法と自らの法解釈のみで、路上生活者を立ち退かせる佐々木さん流の同課の仕事は、佐々木さんの誇りを満足させるものでした。

実際、六法全書を持ち、路上生活者の前に現れる佐々木さんの姿は、
その自信もあいまって、人を威圧するような雰囲気すら醸し出します。

佐々木:さ、行こうか。今日は田代くんもいる事だし、難易度の低い仕事だ
佐々木さんの片手間に片付けようとしている仕事は、
わずか20ばかりのダンボール住居の撤去作業。
渋谷ダンボール村の撤去でした。

佐々木さんは渋谷ダンボール村に着くと、
佐々木:あ〜、君達
と、いつものように、演説まがいの説得に入ろうとしています。

住人:佐々木だ、佐々木が来た
と集まってきたのは、ダンボール村の住人。
その中に風変わりな巨漢、藤堂ミハエルさんもいます。

佐々木:………
佐々木さんは一瞬たじろぎましたが、
手にした六法全書を握り締め、気を取り直すとまた口を開きだしました。

佐々木:君達はここに居ていいわけではない
佐々木さんがそういうと、
やおらミハエルさんは手を伸ばし、六法全書をむんずと掴むと、
ミハエル:うまいのか
と、一言。
バリバリと六法全書を食べてしまいました。

佐々木さん御一行は呆気に取られ退散。

その日から、アブレ者のミハエルさんは、法律食い

または、

"法食いのミハエル"

そう呼ばれるようになりました。

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新パーテル・パーテル1        史上最強の小説

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ロンドンの暴動のニュースを見て、古代ローマの聖山事件を思い出す今日この頃です。

一連の騒動が、何をもたらすのか、または、もたらさないのか。興味津々な今日この頃。

そんな中、聖山事件をモチーフにした何かを書きたいという欲求に負けた狼満です。


新パーテル・パーテル1    史上最強の小説

若人A: おい、どうするよ
路上にペタリと座り込んだ若者が、
隣に、これもまた座り込んでいる、
ホームレスの少女に話しかけています。

薄汚れたズボンに、ベットリとした髪。

少女の方は、多少ましな身なりはしていますが、
疲れ果てた目が、虚ろに、
渡された携帯の画面の中を泳いでます。
周りを見渡すと、フロントガラスを割られて炎上する車両。
ガラスが粉々に砕かれ、商品も根こそぎ持っていかれ、
魚の骨のようになったブティックが、目に飛び込んできます。

ホームレスの少女: いいんじゃない。行くよ
虚ろな目をした少女は、そう言うと立ち上がり、
東を目指して歩き出しました。
若人A: おい。チョット待てよ。俺も行くって
若人の追いかけるその少女の口が、何か呟いています。
ホームレスの少女: ・・・・聖山へ、・・・・聖山へ・・・
無意識のうちか、口が勝手に動くのか、
少女はブツブツ口を動かしながら、
ゼンマイ仕掛けのオモチャのように進んでいきます。

聖山へ、聖山へ。

東京のあちこちで起こる暴動の中、
そう呟く若者の姿が、チラホラと現れては消えて行きます。


新パーテル・パーテル     史上最大の小説

渋谷、聖山ビル。

築70年を超える、ヒビの入ったこのビルに、
若者達が集まりだしたのは、つい最近の事です。

そして、話は半年前、2012年8月3日にさかのぼります。
世は、グローバル化の最終局面。
法的人格(企業)は、安い労働力を求め、世界を転々とし、
各国市民が、不安の幾夜を過ごしたさ中、

突如、失われたモノがあります。

世界の市場から、製品の買い手が、
突然、消失してしまったのです。

それは、先進国、新興国の区別も無い事象でした。
物の値段は沸騰しますが、それを買う資金は、
世界の市民の手元にはありません。

各国政府は、狂ったように紙幣を発行しては、
金融市場にばら撒きますが、
貨幣の価値が暴落するばかりで、悪化する一方。

特に煽りを食ったのは、若い市民さん達です。
憤懣やるかたない若者さん達ですが、
それに火を点ける事件が起こってしまいました。

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はじめに     反格差社会デモを見て

格差とは編集

アメリカウォール街反格差社会デモを見て思いました。
いつの時代も変わらないもんだな〜と、です。

そしてまた、古代ローマの、格差社会への抗議から、
モンテサクロ山(聖山)で平民さん達が独自政府を作った聖山事件から、
平民さん達がこぞって、ウエイに移り住み、
ウエイこそが平民の首都だと主張したくだりの、前夜とも言うべき、
平民さん達の不満が頭をよぎりましす。

古代ローマの時代は、人々が戦争に明け暮れていた時代です。
そこで古代ローマ人さん達の生活を一変させたのが、
戦争の賠償として接収した戦利地でした。
戦利地は国有地になりますが、
その耕作権が格安でローマ市民さん達に払い下げられます。
資本のあるローマの富裕者さんは、外国である戦利地に労働力を送り込み、
大規模農場を経営し、格安の農産物をローマに持ち込んで、
さらに富を増やします。

多くが農場経営で生活していた平民さん達は、
ローマが強くなれば強くなるほど、生活が困窮していきました。
ローマ平民さん達は、オリーブ等の高付加価値の製品で対抗もしましたが、
格安の農産物は平民さん達の農場を、次々と破綻させていったからです。

さらに、自分達の農場付近が戦場ともなれば、
借金の返済もままならず、奴隷よりもひどい境涯に陥る人も出る始末でした。

古代ローマの平民さん達が不満に思ったのは、
富める者は、さらに富み、
貧しい者は、さらに貧しくなる。
その社会システムそのものでした。


そして、大義名分の民主主義上は平等な権利を持ちますが、
実質的な役割を持つ資本主義上は、
1%富める者と、99%貧しい者とは言いませんが、
少数の富める者と、大多数の庶民で構成される今。

富める人達は、格安の農地ではありませんが、
経費の安い外国に生産拠点を移し、
庶民から、富を得る場である、職場を奪っていきます。
あまつさえ安い製品で、市場を席巻、残された職場をも破壊していく投資家達。
株式市場に代表される市場においても、
やはり、富めるものにしかもたらされない情報がありますから、
庶民が、この高付加価値製品に手を出すのは、自殺行為です。

やはり富める者は富み、貧しい者はさらに貧しくなる風潮が、
より濃くなってきているのが、肌で感じられる、
今日のアメリカであり、ヨーロッパであり、やや穏やかながら日本です。


しかし現代の日本庶民、アメリカ庶民、ヨーロッパ庶民の悲しい所は、
民主主義下の平等の概念からか、
富者の権力を自分達との共有財産とでも夢見ているのか、
古代ローマ人の持った、強大な権力を持つ自分達の代表=護民官も、
有効な力も、効果のある独自権力をも持ち合わせていないところです。

古代のローマ庶民は、兵役拒否という効果的な力をもっていました。
そして、一致団結して行動するための自分達の議会、
民集会をも持っていました。

その効果と言えば、ローマ庶民のウエイ移住という究極の兵役拒否によって、
当時、南下してきたガリア人の襲撃を防ぎきれず、
首都占領、そして貴族、庶民の区別無く、
居残り組の人口の90%を失う大惨事を招く程のものでした。
その効果は、行使した庶民自身をも、神罰が下ったと、驚愕させるほどです。

力あるところに、聞く耳も生まれてきます。
古代ローマ人さん達は、再びローマに結集し、
自分達の世界の中心に、コンコルディア女神(調和の女神)をまつり、貴族と平民の団結を誓いました。
これに伴って、貴族さん達は、平民さん達に、
思い切った権力をもプレゼントしています。


現代の抗議デモにも、力の裏づけがあればいいのですが。

また、同じ土俵で戦うと、相手を潰してしまう可能性もあります。
潰してしまった後、自分達が、かつて資本主義の化け物と呼んで、
忌み嫌った、それ、そのものに取って代わりはしないでしょうか。

子は、孫は?


予想される悲喜劇を回避する為には、かつてのローマ平民さんのように、
裏付けとなる強大な権力を持ち、維持する必要はないでしょうか?
富める者には持ち得ない、かつ庶民達単独で行使できる新設の権力です。
そして単純明快でドライな権力。

かつての護民官も、一期勤めると、貴族に列せられてしまいました。
護民官を勤めると、様々な権力が身に付く。
権力を持ったものは貴族である。
貴族は平民の代表にはなれない。
まことにドライです。

私は、相場に溺れる者として、数々の経済指標と向き合ってきました。
そして、庶民の持ちえる力の内、強いものの一つに購買力が頭に浮かびます。
購買力は、その国の経済を支える柱といって良いものの一つだからです。

そして、その購買力に別の要素を加えます。
ある製品がある製品は、製造の過程、販売の過程で、
どれだけ自国という市場を支えるのに貢献しているのか。
ある製品は自国市場を支える、良き購買者を生み出しているだろうか?
もちろん自国市場を支えるのに、メーカーの国籍など関係はありません。
要は実です。

購買力、生産力共におちこみ、
もう先進国の市場はダメだと言われる昨今、
我々が、生涯、自国の市場と向き合い、
共に歩んで生きたいと願う事が許されるものなら、
その願いは、
新たな市民権という形で、応えられても良いのでははないでしょうか。
私が日本という経済市場で、糧を得、幸福を追求し、
次の世代へと伝えたいと願う権利。
もしその願う権利が許されるものなら、
わたしはその権利を、市民権とは区別し、市場市民権と呼びたいです。
そしてその権利の行使の裏付けの力が購買力。
しかし購買力単体では、効率としては甚だよろしくありません。
使い物になりません。

意志を集約し、取捨選別出来てこそ、権力へと昇華します。
市場市民権の裏付けは、購買力ではなく、
権力へと昇華した、購買権でなくては力を発揮できません。

もし、個々人が、自分の生活するささやかな市場
その生活市場とも言うべき場所で、一生を全うしたいと願う事が許されるのなら、
行き過ぎのない、購買権の樹立、行使共に正当なものと認識され、
コンコルディア女神調和の女神)の微笑みの下、
富める者は、貧しき者の差し出した手を、
喜んで握るのではないでしょうか。

私は小説を書くような人間ではありませんが、
死ぬ前にそんなものを表現したいと切望しています。

格差社会とは編集

目次

[[新パーテル・パーテル]]
新パーテル・パーテル1
新パーテル・パーテル2

[[パーテル・パーテル]]
パーテル・パーテル1

格差とは編集